観光の宿にお勧め。北海道の温泉、登別温泉

登別温泉とは~登別温泉の歴史

北海道の温泉といえば、登別温泉。北の大地が育んだ露天風呂等をどうぞ。


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登別温泉の歴史

登別温泉の語源

戸中期に北海道を探検した最上徳内が記した『蝦夷草子』に以下の記述が残されています。

ノボリベッという小川有り、この川上に温泉湧き出て、流れ来るため白粉と紺青をかきたてるが如し、一日も水底の見ゆることなし

この『ノボリベッ』はアイヌ語の『ヌプルペッ』、「白く濁った川・色の濃い川(一説に「霊力のある川」とも)」の意味で、地名「登別」の語源と言われています。


温泉地としての発展

泉地として、登別が使われだしたのは江戸末期。
地獄谷から硫黄の採掘を行っていた岡田半兵衛が共同浴場を作ったことから始まります。
その後、滝本金蔵が温泉旅館をはじめ、私費で道路工事を行い、湯治客が利用するようになります。
明治末期、日露戦争の傷病兵保養地として指定されたことで、知名度は全国的に広まり、旅館やみやげ物屋が並ぶ現在の登別温泉郷の原型が出来上がりました。
その後、徒歩から馬車へ、馬車から汽車、電車へと交通の整備が進むとともに、訪れる人の数は増え、登別温泉は発展してきました。


登別温泉関連年表
1785年頃最上徳内、登別を訪れ『蝦夷草子』に記録を残す
1845年松浦武四郎、初めて登別温泉に立ち寄る。
1857年岡田半兵衛、私費で登別温泉を改修する。
1858年岡田半兵衛、登別温泉に湯治止宿小屋を建てる
登別温泉の先駆者・滝本金蔵、登別村に移住
1901年登別温泉と登別間の新道が完成、2頭びき客馬車が走るようになる。
1905年カルルス温泉が旭川陸軍予備病院の療養所となる。
1915年登別温泉軌道会社が馬鉄を開通
1918年登別・登別温泉間に軽便鉄道開通
1924年登別原始林が天然記念物として内務省より指定。
1925年登別・登別温泉間に電車が走る
1964年第一回登別温泉地獄まつり開催
1972年第一回登別温泉湯まつり開催
※登別市広報/きらり登別より抜粋・引用

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